楽器

私は、管楽器がまったく吹けません。
なので、管楽器吹きは無条件で尊敬します。
私は、そこまで正確に、綺麗にリズムを叩けません。
なので、たいこ叩きさんは無条件で尊敬します。
そして、私は私の音しか、表現できません。
なので、私以外の弦楽器弾きを、無条件で尊敬します。



私の楽器は、2年生になって半年くらいした頃に買いました。
東京交響楽団で、ヴィオラ奏者をしていた方に譲ってもらったもの。
…えーと、実は、楽器の素生がよくわかりません。笑
マイスターは中国人、工房はアメリカ、
何かのコンクールで優勝したらしい。
1986年生。現在24歳、かな。私の手元にきたときは、まだ10代でした。笑
いつも調整などお願いしているマイスターに言わせると、
ネックの部分が中国原産の木?とのこと。
サイズは41センチくらい?わりと、大きいです。



この子と出会ったときは、運命を感じました。
無邪気な音。じゃじゃ馬のような自由さ。
プロの方に弾かれていたおかげで、
音程がきちんと当たるところで一番いい音がする。
この子に、多くのことを教えてもらいました。



楽器は、高ければいいというものでもないようです。
特に弦楽器は、古いもの、新しいもの、音の好み…など
色々あるので、一概にどうとは言えないようで。



私の音を聞いたことがある、
あるいは、うちの子を弾いたことのある方は
おわかりかと思いますが。
…かなり、破壊力あります。
普通に舞台で弾いていて、なぜか最後列の
Tbの方に「音聴こえましたよ」と言われるくらい。。
びよらは「もっと大きく」と言われることが多いので、
がっつり弾く癖がつきました。


「びよらは、楽器持っていること以上のことは望めない」
と思われるのもシャクなので(笑)、いつも考えます。
指揮者にストップかけられる手前の、ギリギリのラインで、
どういう表現をしてやろうか、と。
びよらの音域は、ちょうど中間で聴こえづらい部分です。
それはつまり、『ハート』の部分だと思うのです。
だから、ないがしろにしちゃいけない。
外見がいくら綺麗な人も、ハートが伴わないと魅力的に映らない。
だから、いくらでも泥臭く足掻かないでどうする、と思っています。



シベリウスの2番を聴くと、個人的に旅を連想します。
田園風景、さわやかな朝からはじまり、
歌いながら歩く。ステップを踏む。
歩いていく先に、荒野があったり、戦場があったり、
いろいろドラマがあるわけですが、
理想の、目的の地に着き、祈り、
最後は高らかに勝利の歌を歌いあげて終わる。
勝手にざっくりそんなイメージ。
交響曲って、人の人生のようだなぁといつも思います。
さて、尊敬するプレイヤーたちの中で、自分はどういう音を練りこもうか。