演奏会情報
(※この情報の下で、ブログは地味に更新しております↓)
☆オーケストラ・トルバドール
日時:2010年8月28日(土)
17:30開場/18:00開演
会場:タワーホール船堀 大ホール
曲目:シベリウス/交響曲第2番
ラヴェル/組曲「マ・メール・ロワ」
近衞秀健/平成の夏
入場無料・全席自由
(チケット、整理券などはございません)
公式サイト:http://troubadour.chernaya-koshka.com/
真夏の夜のシベ2。
このプロジェクトの参加者は、
さまざまなオーケストラで活躍するプレイヤーたち、
さまざまな面で手を貸してくださった方々、
そして、この当日に聴きに来ていただく、
この画面の前の皆さまです。
「音楽は、もっと人にとって、
身近で、日常であってほしい。」
吟遊詩人は、そのために各地を旅しながら
皆さまに、音を届けます。
楽しい上に成り立つ
おひさしぶりです;
すみません、すっかり間が空いてしまいました。
最近、ある方に触発されて、ツイッターを再開しました。
様子を見ながらですが…笑
万が一興味があれば、探してみてください。(あえてリンク貼らない…)
でも、やっぱり、多少自分で文章を書く方が好きです、ね。
さて、最近、なんかいろいろ考えてました。
音楽って何だろう。
って、必ず全員が納得する正解は、ないのかもしれないけど。
もしかしたら、突き詰めていけば何かの答えはあるのかもしれないけど。
「音楽」って単語が、よくできてるなぁって思っていて。
音を楽しむこと。楽しむ、んですよみなさん。笑
そこに、知識とか、うんちくとか、なくたってかまわない。
これがわかったら、もっと楽しいのにってことをやればいいと思うし、
実際、私はそうやって勉強してきた。
縦書きで
音
楽
って書くと、楽しいの上に音が成り立っていて、
横書きで
音楽
って書くと、音と楽しいがパートナーシップをとっている。
すごいでしょ。これ、どっちもアリだと思うんです。
要するに、両方が協力し合わないと、『音楽』は生まれないということ。
ピアノなら、両手が協力しないと音楽にならないし、
合奏や合唱や、オーケストラは、もっとたくさんの「人」が
協力し合わないと、音楽にならない。
結局ね、ヒューマンの部分、なんだなーって思ってみました。
なかなか合わないからこそ、合ったときの快感って鳥肌が立つときもあるくらい。
それが起きている舞台を見ると、やっぱり同じように鳥肌が立つ。
あぁ、やっぱり音楽って楽しいですね。
チラシができてきました!
私の会社の上司が写真を提供してくれ、
オーボエ吹きのお嬢さんが、デザインしてくれました。
広報内でも、あぁでもないこうでもない、と
ときには真夜中にメールでやりとりしながら。笑
いやぁ、力作です。
ありがとうございます!
本当に、いろいろな方がこの演奏会のために動いてくれて、
手を貸してくれて、何て幸せなんだろうと思います。
気を引き締めなければ。
というわけで、ご来場お待ちしてます!
インストール
私だけかもしれないので、何とも言えないのだけれど、
オーケストラで曲を演奏するときは、曲をインストールする。
…インストール、というのは、それが一番近いからそう言うのだけど、もっといい表現があったら教えてください。笑
びよらはただでさえ、CDなどを聴いていても聞こえにくい音域&動きが多いので、
曲の構造がどうなっているかを、大まかにでも頭に入れる作業をします。
たとえば、ここは誰がメロディーを演奏していて、伴奏をやっているのか。
ハモりは誰か、構成されている和音のどの音が誰なのか。
そして、その中で自分がどんな役割をしているのかをチェックします。
自分がどんな役割なのか次第で、どういうイメージで弾くか、になるのですが、
これが一概にこう、とはならない。
一緒に演奏するメンバーにもよるし、指揮者にもよる。
だいたい、オーケストラは多いと100人くらいが平気で舞台に乗っていたりするのですが、そのメンバーが誰ひとり変わらずに、2回目を演奏できることって、ほとんどありません。
そういう意味では、世の中のアマチュアオーケストラは、すべて一発オケだと言えるのかもしれませんが。
私が最も多く演奏している曲の一つに、ブラームスの交響曲第1番というものがありましたが(のだめで有名になったアレです)、
7回くらい弾いていて、まったく同じ弾き方をしたことは一度もありません。
つくづく、音楽ってナマモノだなぁ、と思います。。
曲をインストール、といっても、そんなに難しいことをするわけではなく、
ただひたすら、その曲を聴きこむだけです。笑
表現を身につけるためではなく、基本的な総譜(スコア)の構造を理解するために。
で、本格的な練習が始まったら、聴かないようにしている。
CDの劣化コピーにはなりたくないので。。
(本番終了後に、最初に聴きまくってたCDを聴くと、表現があまりに違うので驚くほどです。)
いつも、音楽にふれると、
情景や物語を思い浮かべます。
私はこう思う。こう感じる。
だから、こういう表現をしたい。
そこから、私の音楽はスタートしているんだな、
ということを、忘れないように。
ミラーニューロン
最近の研究で、「ミラーニューロン」なるものが存在することがわかったそうです。
ミラーニューロンとは。
自分が直接しなくても、それをしている人を見ていると、
自分がそれをしているのを同じような感情になること、らしい。
ざっくりですが。
映画やドラマを観て、のめりこんで一緒に悲しんだり感動したりとかも、そのミラーニューロンのせいなのですって。
で、これが生演奏を見ている人にも応用されることがわかったと。
つまり、自分はその楽器を演奏できなくても、演奏している人を見るだけで、
奏者と同じような感動が味わえるというのですね。
これはお得!!(違)
余談ですが、ホテルのバーラウンジなどで生演奏をたまにやってますよね。
で、それ以外の時間は、CDなどで音楽を流していると思うのですが。
BGMをスピーカーから流している時って、友人や恋人とおしゃべりしやすいけど、
生演奏が始まると、そちらに意識をもっていかれますよね。
どっちがドリンクの売り上げが上がるか、というのはちょっとわかりませんが。笑
うまくメリハリをつけることで、お店の雰囲気ってぐっと良くなります。
それはさておいて、私(たち)がやりたいのは、生での音楽を届けること。
私たちは、数か月をかけて今回のプログラムに取り組んでいますが、
このミラーニューロン説によると、
同じくらいの感動が、当日聴きにくるだけで味わえるっていうことです。
上手い演奏を聴きたければ、プロの演奏会に行けば良いのですが、
アマチュアだからこそ生まれるドラマもある。
(別名、事件とか事故になることもありますが。。爆)
音楽をちゃんと聴かなきゃ、ではなくて、
自由な感性で、浸ってみてほしいな、と思ってみたりします。
余談その2。
昔、私の友人(クラシックまったく知らない)が演奏会を聴きにきてくれた時の感想。
「シンバルの人が、楽器を鳴らすと前髪がふわってなるのが面白かった」
…そういうのもアリってことです。笑。
音楽のはじまり?
すっかり、更新の間があいてしまいました。
楽しみにしていただいている、という応援をいただき、
にわかにやる気を取り戻してみたりします。笑。
何てことはない、お話たちなんですけどね。
音楽って何だろう。
と、ときどき思います。
音楽のスゴイところは、人の脳にはたらきかけ、
数秒単位で、心理に影響を及ぼすものです。
たとえば、ある歌を聴いて、
悲しいとか、嬉しいとか、気分が高揚するとか、
そういう気持ちの変化を感じたことはありませんか?
街中に、クリスマスソングが流れる時期とか。
(あれ、わくわくしますよね。私は同時に、始まった祭りがいつか終わるという、せつなさも感じるのですが。笑)
それができるのは、人が永い永い時間をかけて、
音楽とともに生きてきたからだと思うのです。
人間が進化していく過程で、
おそらく、声を出すとか、何かをたたくとかが
きっと一番最初の音楽の形で。
それはだんだん、気持ちや愛を伝えるためだとか、
神様に捧げられるために進化してきたのだろう、と。
神様に捧げられる讃美歌には、アカペラのものも多いですし、
日本では、節をつけて歌う短歌などもこれにあたるのでしょう。
日本だと平家物語などの長編も、すべて口伝だったようですし、
それを覚えるために、歌っていたとか。
(古文には、非常にリズミカルで詩的なものが多いですね。)
ヨーロッパでは、英雄の武勇伝を伝えるために、
吟遊詩人が物語を歌いながら、旅をしていました。
あ、余談ですがオケの名前はここからとりました。笑
吟遊詩人=troubadour(仏) トルバドール、です。
イタリア語?あたりでは、トルバトーレとも言いますね。
言語によって微妙に違うのですが。
私はフランス語が長かったので、フランス語にさせてください…笑
楽器
私は、管楽器がまったく吹けません。
なので、管楽器吹きは無条件で尊敬します。
私は、そこまで正確に、綺麗にリズムを叩けません。
なので、たいこ叩きさんは無条件で尊敬します。
そして、私は私の音しか、表現できません。
なので、私以外の弦楽器弾きを、無条件で尊敬します。
私の楽器は、2年生になって半年くらいした頃に買いました。
東京交響楽団で、ヴィオラ奏者をしていた方に譲ってもらったもの。
…えーと、実は、楽器の素生がよくわかりません。笑
マイスターは中国人、工房はアメリカ、
何かのコンクールで優勝したらしい。
1986年生。現在24歳、かな。私の手元にきたときは、まだ10代でした。笑
いつも調整などお願いしているマイスターに言わせると、
ネックの部分が中国原産の木?とのこと。
サイズは41センチくらい?わりと、大きいです。
この子と出会ったときは、運命を感じました。
無邪気な音。じゃじゃ馬のような自由さ。
プロの方に弾かれていたおかげで、
音程がきちんと当たるところで一番いい音がする。
この子に、多くのことを教えてもらいました。
楽器は、高ければいいというものでもないようです。
特に弦楽器は、古いもの、新しいもの、音の好み…など
色々あるので、一概にどうとは言えないようで。
私の音を聞いたことがある、
あるいは、うちの子を弾いたことのある方は
おわかりかと思いますが。
…かなり、破壊力あります。
普通に舞台で弾いていて、なぜか最後列の
Tbの方に「音聴こえましたよ」と言われるくらい。。
びよらは「もっと大きく」と言われることが多いので、
がっつり弾く癖がつきました。
「びよらは、楽器持っていること以上のことは望めない」
と思われるのもシャクなので(笑)、いつも考えます。
指揮者にストップかけられる手前の、ギリギリのラインで、
どういう表現をしてやろうか、と。
びよらの音域は、ちょうど中間で聴こえづらい部分です。
それはつまり、『ハート』の部分だと思うのです。
だから、ないがしろにしちゃいけない。
外見がいくら綺麗な人も、ハートが伴わないと魅力的に映らない。
だから、いくらでも泥臭く足掻かないでどうする、と思っています。
シベリウスの2番を聴くと、個人的に旅を連想します。
田園風景、さわやかな朝からはじまり、
歌いながら歩く。ステップを踏む。
歩いていく先に、荒野があったり、戦場があったり、
いろいろドラマがあるわけですが、
理想の、目的の地に着き、祈り、
最後は高らかに勝利の歌を歌いあげて終わる。
勝手にざっくりそんなイメージ。
…交響曲って、人の人生のようだなぁといつも思います。
さて、尊敬するプレイヤーたちの中で、自分はどういう音を練りこもうか。