人生の転機(1)

…なんて、いくつもあるのでしょうけど。
いや、むしろ日々の過ごし方そのもの、すべてが「転機」なのかもしれないけど。


私の大学時代の、最も大きな事件と呼ぶのがふさわいしいもの。
それが、「母の死」でした。
これを語らずには、この先が語れなくなってしまいます。笑
ちょっと、重たい話かもしれませんが…


私が17歳のとき、人間ドックで、初期よりももっと前の段階の
がん細胞が見つかりました。
医療はものすごく進歩していて、その程度の小さいものであれば
内視鏡で、入院もなしに手術ができてしまうほどのもの。
その時は、日帰り入院で、けろっと帰ってきました。

その翌年、検査でがん細胞が再度発見されました。
今度は開腹での手術。
私が18歳の夏休みのことでした。
その手術の日は、2人しか立ち会えないことになっていたので、
通常であれば長女の私が立ち会うべきだったのですが、
ちょうどその日は、受験生らしく学校で模試があったため、
結局は父と、2歳下の弟が立ち会いました。

…実際はその時、すでにリンパにも転移しており、
余命3カ月を、宣告されていたそうです。
それは、母が死んだ後、奇しくも葬式での父のスピーチで知りました。

母は非常にたくましく、4人の子供を育てあげ、
優しく厳しい母であり、家事を完璧にする主婦であり、
その上で、睡眠時間を削っても、趣味のパッチワークに没頭するような
とにかく"一生懸命"に生きる人でした。

私がピアノを習いたいと言い出し、それがすんなり通ったのも母のおかげ。
ちなみに、その後は習い事(塾でさえ!)をしたいと言って
すんなり通ったためしがありません。笑
うちでは、親にお金を出してもらうとき、それがいかに必要か、
それにお金をかけることでどんないいことがあるか、
必ず親にプレゼンし、説得しなければならないのがルールでした。
(4人もいたら、全員に同じことはさせられないですね。)

そんな母は、私が大学に入学したことを喜び、
また、オーケストラに入ったことも喜んでくれました。
なかなか生でオーケストラを聴きに行く機会はない、と言って。
今思えば、いつ尽きるともわからない自分の命が、
1日でも長くもって、子供の成長を見守れることが、
本当に嬉しかったことだったのでしょう。

家から大学が遠かったこと、授業を山ほど取っていたこと、
部活にバイト…と、屋外で忙しくしていたため、
大学以降はあまり家にいることもなく、よく「鉄砲玉」
(出ていったら戻ってこない)と言われたものです。笑
今思えば、もっと一緒にいてあげれば良かったのかな。
と後悔しても仕方ないので、そんな私の元気な姿が見られて
きっと満足だったのだろうと思うしかありませんが。