私という人間

1982年8月15日、終戦記念日に生誕。

(お盆真っ最中のため、友人に祝われることが少なく、

 次第に黙とうを自分のためだと勘違いするようになる。笑)



記憶があるのは2歳すこし前から。

今思えば、扱いにくいくらい繊細な子で、

人の言葉にいちいち傷ついたり、喜んだり

感情の浮き沈みが激しかったのを記憶しています。



今でこそ考えられないけれど、

8歳までは、家から一歩外に出ると

一言もしゃべれないような子でした。



6歳のときに、テレビでピアノを弾いている人を見て

衝撃を受け、ピアノを習いたいと言い出しました。

今でも、ピアノの音は一番好きかもしれません。

ピアノを始めてから、少しずつ外に心を開くようになり、

9歳(小3)でクラス替えをしてからは、

普通に友人たちとお喋りを楽しめるようになっていました。



高校のときには合唱、大学からはオーケストラと、

形は変わっているけれど、音楽は私にとって

なくてはならない存在です。

もし、あの時、音楽を始めていなければ、

今の私のキャラクターはないでしょう。



ちなみに、今は出版社で編集をしておりますが、

前職はホテルマンでした。

その時はシフト生活の人だったので、音楽ができず

本当につらかった。笑

そのためにストレスで心と体を壊し、

会社を辞めてしまったくらいです。笑

実は、その間にも懲りずにエキストラで呼び続けてくれた

B大学の方々には、本当に感謝しています。

オーケストラとの出会い

時は10年ほど前にさかのぼり。

高校時代、女子高で合唱を割とマジメにやっていた私は、
ハレルヤ・コーラス」とベートーヴェン「第九」
歌うことに憧れていた。
ちなみに、「ハレルヤ・コーラス」は女声合唱のみでも
歌えたため、かなり頑張って練習したが、
「第九」だけは、どうしても混声だった上、
ソリストが4人いるという曲だったので、
女子高、しかも10人いるかいないかの弱小部では
到底、手の届かない存在だったのだ。

だから、
「共学の大学に行って、合唱部に入れば、
 きっと歌えるに違いない!」
と思った18歳の私がいたことを、誰も責められないと思う。笑

さて。
さまざまな期待を胸に、大学に入学。
そこかしこに、部活の勧誘の先輩がいて、
しきりに話しかけてくる。
でも残念。私は合唱部に入りたいの。
…と、いきなり言うのも失礼なので、
構内をうろうろしながら合唱部の勧誘を探してみた。

ところが、2日かけても、合唱部の勧誘は見当たらない。
文化会という、文化系の部活を統括しているところを知って、
勇気を出してたずねてみたところ、
「合唱部なら、今は部室はあるけど部員はいないよ」
と言われた。

ということは、だ。
私が仮に合唱部に入部したとして。
それって、『独唱部』ですよね?
第九どころか、混声合唱にすらならない。
おまけに、他大との接点も交流もない。
どうしよう…
(まぁ、今考えれば、いくらでも方法はあったはずなのだが。)


そうして道端で途方に暮れているところで、
ショートカットで丸メガネの、人のよさそうな女性が声をかけてきた。

「オーケストラとか、興味ない?」

思えば、あれはひとつの運命だったのか。

PRO‐LOGUE

どこの人かなんて関係なくて、
ただ、それが好きだからここにいる。

私の生まれは秋田、戸籍は山口、生まれて最初に住んだのは大阪、それから千葉、埼玉、トウキョウ。
私には、「私の街」と呼べる故郷がない。
だからなのか、ひとつのところにじっとしているよりも、
色々な場所を点々としている人生を送っている、気がする。

オケを始めたのは大学時代。
いろいろなボタンをうまく掛け違って、出会ったモノ。
ボタンを掛け違ったのは、偶然か、必然か。
掛け違い続けたのも、偶然か、必然か。

楽器を始めて1年。
私は、大切な人をなくした。
その人は、私が演奏する舞台を一度だけ観にきた。
正確には、一度しか観に来られなかった。

その人との、最後のつながりが楽器であり、オーケストラで。
今でも、どこかで聴いているのではないかという気がする。

ただ好きだからここにいて、
あの人とのつながりを感じていたいからここにいて。

あの人が聴いた最後の曲は、私が演奏する曲ではなかった。

いつか演奏したいと思い、10年目。

10年の間に、楽器を通じてたくさんの人と出会った。
都合さえつけば、どこの楽団でも手伝いに行ったし、
それ以外でも、音楽は私と世界をつないでくれた。

「最後の曲」を演奏する機会は前触れもなく訪れ、
それはまぎれもなく、この10年で音楽が私に与えてくれた絆で。

2010年、8月28日

一夜限りで、いろいろな楽団を渡り歩く
吟遊詩人――トルバドール――たちが、ひとつの音を導き出し。

夏の一夜に、打ち上げ花火のように盛大で華やかな、集いを。